里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

里山から城跡へ

これは小田城跡の説明板にあった上空写真です。 
整備前の発掘途中の写真ですが、小田城跡を真っ二つに分断する中央の直線は
土浦駅から岩瀬駅までの約40kmを結んでいた筑波鉄道の路線跡で
1987年4月1日に廃線になりました。
この場所で ひたすら発掘作業をされてた方々は 
この廃線跡をなんとか修復させようと 必死だったと思います。
今は 国指定の史跡となり 修復され 芝生が敷き詰められてます。
文化財は 時代に翻弄されながら 乱暴に扱われたり 丁寧に扱われたりして
粘り強く生き延びていくもんですね。


廃線跡はつくばりんりんロードに生まれ変わって 自転車専用道になりました。
小田城跡を避けるようにして りんりんロードが作られてます。

これが現在の小田城跡ですが、多気城跡近くから一直線に 
りんりんロードは走ってるのが分かります。

この風景を小田城コースの要害展望所から見たかったのが1番の目的で
宝篋山に来たのですが...


整備され綺麗になったのですが 土塁が重機でゴリゴリの直線的になってしまい
私としては 点線のような 昔のままが良かったように思います。 

実際の写真です。 

図を見ると 犬走りがあるようですが 肉眼で確認出来ませんでした。
犬走りは お堀側にあり お堀から ずぶ濡れになりながら侵入してくる者への
対策で作られたと思いますが、
ちなみに山城跡の武者走りは 本丸側にあります。


当時 携帯が無い時代に敵の情報収集をし 本丸の作戦本部へ伝令するための
道として土塁に沿って武者走りは作られてました。
平地の場合 お堀があるので敵との距離が離れているので 当時の武器を考えると
土塁の上を走っても安全なので 武者走りは 特に作らなかったと思われます。
土塁と武者走りは 兼用されてたと思われます。


一方、犬走りは 敵と対峙するためだけのものであったと思われます。


馬出への道は 当時の状況が再現されてました。 

馬出は 城の顔というか ステータスなので 立派に作られてました。
 

橋の向こう側が 馬出です。


広すぎて あまり見ることが出来ませんでした。
再度 訪問しようと思います。

×

非ログインユーザーとして返信する