里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

ジブリっぽい里山 久米城跡探訪  (中編)

天空の城ラピュタの1シーンみたいな場所を通り過ぎると正面に土塁(壁)があり
そこを左側の階段を登っていくと西の城につながります。


西の城跡にはTV中継所があり その裏手側に物見台がありました。 

ワクワクしながら物見台に立ちました。 

のどかな田園風景の先に 山入城跡がある要害山(191.3m)が見えます。
この田園風景は 50年前から現在、そして50年後 大きく変わることはないでしょう。
この落ち着きの里の風景が 私は好きです。 

暫く眺めた後、左端にある細い道を通って 北の出城に行きました。

急な下り坂の細い道を進むと堀切がありました。 

右手にカメラのレンズボックス、左手に三脚、首からカメラをぶら下げて歩いてるので 
トラロープを掴まないまま ゆっくりと急勾配の細い道を歩いて降りました。
が、この場所で木の根っ子に足を引っかけてしまいました。 

その時に 私は咄嗟に木の根っ子に引っかけた足を抜くと 
急勾配の坂道を猛スピードで駆け下り 急ブレーキをかけながら停止して
転ばないですみました。
何故 転ばないで済んだのか?・・・それが私だからです!


先に行くと高柿城跡が見える場所がありました。 

高柿城跡が望めるように 周囲の木は伐採してありますが
高柿城跡は 現在は公園の一角になり ほとんど原型が分からないようになってます。 

この先に北の出城跡がありましが、中央に 巨木が倒れていました。 

根の部分は 縦横がそれぞれ2m程度の大きさだったと思います。 

森の中の巨木ほど 倒木しやすいのです。
幹がが太く、長く、枝もたわわな巨木は 風が吹くと巨木は揺さぶられ
モーメント(力)が大きく(長さ×重さ)て これが全て根っ子の部分にかかります。
また、森林地帯の巨木は回りの木も根っ子を伸ばすので 
それぞれの木の根は 地面に広く深く伸びることができません。
そのため あまり大きく張り巡られてない根っ子なので 力に耐えられなくて
揺さぶられた巨木は根っ子ごと倒れてしまいます。


本物の巨樹は 神社やお寺、公園、学校の校庭のように 
回りに木がなくて 自由に根が伸びていくような環境で
そこで たっぷり栄養を一人占めできるような場所に 多くあります。


参考までに 以前、娘と九州旅行したときに見た佐賀県の巨樹をリブログします。

佐賀県のNO1、2、3と書いてますが 全国の巨樹10傑の中にに3本共入ってます。
巨樹がある街だからかどうかは知りませんが 佐賀県武雄市で素晴らしい体験をしました。
横断歩道の前に立つと ほぼ 全ての車が当たり前のように止まります。
これにはビックリというか感激しました。


私が住んでる街での事ですが 以下の事は 会社の後輩から話を聞きました。
後輩がタクシーに乗ってる時に子供が横断歩道の手前で手を上げて立っていました。
タクシーが止まり 後ろの車も止まりました。
子供がお辞儀をして 手を上げて横断歩道を渡ってる時に 
その止まってる車の後ろから来た車が 止まることなく、止まってる車を追い越し
横断歩道を 手を上げて渡ってる子供をはねてしまいました。
これ 私が住んでる街での話です。
とても とても 恥ずかしい話です。


巨樹がある街だからかどうか知りませんが 武雄市のような街が日本中に広がれば...


話を元に戻して 北の出城を見た後、引き返しました。 

最大の堀切を見てきました。 

本当に堀切?
でかすぎる!!
自然に出来た崖っぽいんですけど。
先に進みます。これも堀切ですが...

本丸(東の城)に着きました。 

標高は101.3mです。

 

久米城は鎌倉時代に大塚氏が館を設け 居住したのが始まりとされていますが
時と共に色々とあり、その後 佐竹北家として代々続き 佐竹家が秋田に移った時に
廃城になったようです。
左側に見える しだれ桜は秋田県角館から送られたものです。 

本城跡(東の城)で休憩しました。


この後、南の出城、山の神へ行きました。
山の神の榊を交換してる保存会の方と話をしましたが 心を洗われました。
その話は長くなるので 後編に書きたいと思います。

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