里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

ジブリっぽい里山 久米城跡探訪  (後編)

久米城 南の城跡からこんにちわ! 

このベンチは保存会の皆さんが自作したものだそうです。
このベンチの位置から男体山、日光連山を見ることが出来ます。

本城(東の城)で20分ほど休憩し 南の城に向けて出発しました。
坂道を下っていきます。 
城跡散策は いつもそうなんですが 
さだまさしの『防人の歌』が頭の中をグルグル回ってます。 

久米城跡は 他の城跡と違って二重堀切が何カ所もあります。
私の推理ですが、堀切の底部を通過するときは 危険で不利です。
やっと堀切を通過したら すぐ また堀切があるような構造は敵側からすれば
『また~ 堀切~』といった嫌な気持ちにさせると思います。
このような二重堀切が何カ所もあると 本城に到着するまでに
途中でやる気のない敵側の兵は『もう嫌だ!帰る!』って気持ちにさせるかも。
心理的な作戦かなぁ~。
田楽場(今で言うカラオケ大会場)や二重堀切などを見ると、
ひょっとしたら久米城跡のスタッフに心理面のカウンセラー的な人物がいて
城主にアドバイスをしていたのではないかと思ってしまいます。 

手すりも保存会の皆さんが 自作をしてます。味がありますよね。 

大きな堀切があり、足場を本格的に自作されてました。 

又しても 大きな二重堀切です。
ここで 落ち葉に足を滑らせて ズルズル 谷底の方へスベっていきました。
両手はレンズと三脚を持ってたので このままでは絶体絶命のピンチです。
ここで私は靴を急な坂に対して 少しずつ角度を変え90°ずらし 足の指に力を入れて
坂の下に落下す手前で踏み止どまりました。
何故落下しなくて済んだのでしょうか?・・・それが私だからです。 

南の出城に到着しました。標高87.1mです。 

堀切を通過した場所で 本日始めて 人を見かけました。 

榊の木を切ってるようでした。
その先に山の神がありました。 

ここで写真を撮っていると 先ほど見かけた人がやってきて
榊を新しいものと交換されました。
城跡が凄く整備されているので『保存会の方ですか?』と声を掛け
『城跡が整備されていて とても気持ちよく散策できます。』とお礼を言うと
いろんな話をされました。
もともと この城跡は国有地なので 散策のために木を伐採し道を造ったり
景観をよくするために木を伐採することは出来ないそうです。
どんなに良いと思えることでも 国民の財産を勝手に伐採することはできません。
保存会の人は 最初 市に話し、それから国の森林管理局などへ話しても...
凄い努力ですね。話は伺いましたが これについては書きません。


祠の脇に竹で囲った山野草がありました。 

『これは何ですか?』と聞いたところ ちょっと躊躇っておられましたが、
『この辺の方言でジッチバッパ(?)っていうんですよ。』
と言って、私のほうを見るので 私が『分からないです。』と言うと、
ちょっと引き締まった顔になって
『これは春蘭です。昔は高値で取引されていました。その時に ここの春蘭を全部 誰かが持って行ったんです。仲間が持ってきて また春蘭を植え直しました。』
私は わざわざ竹で春蘭を囲って ここに春蘭がありますよ!と教えてるようなもので
また持ち去られたらショックだろう と思いましたが、
想像ですが 保存会の人達は 持ち去られるなんて事を考えるより 
散策路沿いに春蘭が咲いてる光景を 多くの人に見てもらいたいという気持ちの方が勝っているのでしょう。
私の気持ちの小ささと保存会の人の気持ちの大きさが... 

南の城跡まで引き返し ベンチに座ってると 先ほどの保存会の人がやって来ました。
『以前、あなたと同じような風貌の方が 一人で散策されてました。東京で大学の教授をしてる人で その人のアドバイスで 男体山や日光連山が見られるように 目の前の木を伐採しました。仲間が筑波山も見えるようにしたいと言うので 方角を地図とコンパスで特定し今 あちらも伐採しようと計画してるんです。』
私のような白髪のロン毛は 大学教授かインチキ書道家くらいなんでしょうか。
私のことを 保存会の人は どう思ったのか 知りたいです。
『やることが一杯あるんですね。昔 筑波山の双耳峰の中央をゆっくり夕陽が沈んでいく光景を見て感動したことがあるんですが それをここで見れたら最高ですね。』
と言うと 仲間に話すと喜んでおられました。


このベンチの青シートの下にボックスがありました。
『散策に来られた方に この景観を見て欲しくて 双眼鏡を置こうと思ってます。そのボックスはそのためです。』
さすがに喉元まで声が出そうになりましたが 言葉が出ません。
私のような小さな(けつの穴が小さい)人間は まず 盗まれることを考えますが、
この保存会の人達は 盗まれることより この景色を見て欲しいんですね。


何故 保存会の人は こんなに人間が大きいんでしょうか?
      ・・・何故ならば それが 未来へつなぐ久米城跡保存会だからです。


とても清々しく 心が洗われるような一時を過ごすことが出来ました。
久米城跡から車で10分くらいのところに久慈川が流れていて 幸久橋の近くに防人の歌碑が建っています。奈良時代に防人として北九州地方へと派遣された、久慈郡出身の丸子部佐壮が詠ん歌が刻まれています。
 『久慈川は 幸くあり待て 潮舟に ま梶しじ貫き 我は帰り来む』
との歌が刻まれています。
『久慈川よ,清い流れのままで変わらず待っていてくれ,私は潮舟に梶をいっぱい通し,急いで帰ってこよう』という意味を持つこの歌です。
無事に故郷に戻れる保証のない防人として,はるか西の地へと赴かなくならない若者の切ない心境が伝わってきます。
 

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