里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

学生時代 Ⅴ    ~ 小さな旅 ~


始めての一人暮らし ビクビクとワクワクが交差する中 
下宿先への引っ越しの当日 

主(ぬし)と人畜無害と静岡と初対面の時のことです。


主(ぬし)は文学部の7年生で 

第一印象は とても普通の人じゃないよぉ~でした。
髪はお腹あたりまでの長さで 

服装はオーバーオールに 寒くても半袖のTシャツを着て
その上にチャンチャンコを羽織ってました。
コメカミあたりまである 髪の毛がカールしてましたが 

本人曰く 
盲目の歌手 長谷川きよしの髪型が格好いいから真似たんだと言ってました。


人畜無害は笑顔で向かい入れてくれ 優しい方で安心しました。
静岡は同じ一年生 フットワークが軽そうで問題なしでした。


主(ぬし)の部屋に みんなが集まって最低限のルールの話を聞きました。
『小麦粉と醤油は切らさないこと、靴下ははかないこと、下駄は共有、それと・・・』


私の引っ越し荷物にエレキギターがあるのを見つけて、
『お前 ギターやってるのか?軽音に入れ!』
と言いました。
取敢えず『はい。』と言うしかありませんでした。


大学の部室は 細長い長屋のような建屋を区切って 各部が使用していました。
軽音は1番端にありました。(多分、うるさいからでしょう)
部室のドアは ドラムとかアンプが盗まれるとヤバいのでいつもカギをしていました。
軽音の隣は美術部でした。
軽音の部室に入るには カギのかかってない隣の美術部に入り、
それから美術部と軽音の間のベニア板の壁に

人が通れるくらいのサイズの破れた穴があって 

そこをくぐって軽音の部室に入ってました。


主(ぬし)の指にはペンだこはありませんでしたが、
右手の指はマージャンだこ、左手の指にはギターたこがありました。
1年の半分くらいは部屋に居なくて ギターとバイトとフーテン生活をしていました。
主(ぬし)はリードギターで、私はベースをやらされました。
麻雀をやった後 真夜中に 時たまですが 軽音の部室に行き、
ハードロック(主のアドリブ)や当時人気のサンタナなどの曲を演奏しました。
演奏が面倒臭くなってくると アフリカの民族音楽のような
コンガを叩き 意味もなく 高音でアァア~アァア~アァア~と歌い続けました。
特に何があるという訳ではありませんが、
ひたすら夜明けがくるまで 演奏を続けました。


夜が明けてくると 大学近くにある

『夜明けの天ぷら屋』と呼んでいた『天ぷら屋』が天ぷらを揚げ始めるので 

そこで熱々の天ぷらを買って 食べながら家路を急ぎ
部屋に戻ると炬燵に潜り込んで寝るという生活をしていました。
この生活が 私にとって とても衝撃的で楽しかったのですが、
正直なところ この生活を続けると 多分 ダメになると思っていました。


私の在籍してた学科に美術部に入ってる真面目な奴がいました。
美術部の連中は 休憩時間に部室に集まり コーヒーを飲んで喋っていました。
ある意味、羨ましい学生生活を送っているなと感じていました。


私は美術部に入り生活態度を改めることにしました。
最後まで絵は描きませんでしが、単位習得には すごく助けてもらいました。
また、美術の連中は フォークソングが好きなのが多くて
彼らの下宿先でフォークソングを聞くことによって
フォークソングの良さも教えてもらいました。


今にして思えば、部室の壁に穴が開いてなかったら・・・、
軽音の隣が美術部でなかったら・・・
多分ズルズルと 今とは全く違う人生を歩んでたのでないかと思います。
人の人生なんて ちょっとした事で 変わるんですね。



小さな旅~光と風の四季

少年時代 Ⅳ      ~ Summer ~


私は 中学の時 サッカー部に入ってました。
今は人気の部活のようですが 

当時は 人気の部活は野球部かバレー部で
野球部やバレー部の男子は

ハンサム、頭が良い、運動が出来ると 3拍子揃ってる奴が多くいました。
それに比べ サッカーは 

人気がないというか 男臭い奴ばかりでした。
それと 何故か マドンナと呼ばれてた可愛い女の子たちは 

軟式テニス部にいました。


2年生になると先輩が退部し 

僕ら2年生と新入生の1年生だけとなり
新人戦や交流試合で 時期が来ると 

午後に 授業に出ないで 別の中学校へ自転車で遠征しました。


サッカーは接触する場面が多く 足を踏まれたり 
足が引っかかって転倒したりと カチンとくる場面が多くあります。


私の中学校のサッカー部のご神体は五寸釘でした。
前半に足が引っかかって転倒した者に 後半が始まる前に五寸釘を渡して
『あいつを刺してこい!』
が合い言葉でした。
実際に刺した者はいませんが、先輩で刺した人がいると噂で聞いたことが....


試合が終わり学校へ戻る途中 まだ学校は終わってませんが

大判焼を食べて お店でたむろしました。
そこのお店は 大判焼をアルミの皿に乗せて出していました。
体育会系の部室にあったボコボコの大きな薄い金色のヤカンと同じ材質です。
その皿を学生帽の中に入れて 帽子をかぶり そこを叩くとカキーンと音がしました。
それが面白くて みんなで 帽子にアルミ皿を入れて 

帽子をたたき合って 楽しんで遊んでました。


学校へ戻ると『あ~、やっちまった!』と言う奴を見ると
学生帽の上が 真っ平らになってます。
大判焼きの皿をいれたまま ウッカリ 学校へ戻ってました。

これがキッカケで サッカー部のみんなが 大判焼きの皿を失敬して
帽子の中に入れるようになりました。
今思うと 何が楽しいのか分かりませんが その真っ平らになった帽子を
叩くと カキーンと音がして それが楽しくて たたき合ってたと思います。


これは 直ぐに 先生に見つかってしまいました。
サッカー部の2年生が 揃って 帽子の天辺が平らで 異様に見えてたと思われます。
北朝鮮の金正恩の後ろに立ってる軍服姿の老人の帽子が真っ平らで
あの光景をみる度に アルミ皿で天辺を真っ平らにした学生帽を思い出します。


職員室に呼ばれました。
サッカー部の顧問の先生の机の周りに 
サッカー部の2年生 全員が正座をさせられました。
当時は コンドロイチンが まだ 沢山あったので大丈夫でしたが

膝が痛いったらありゃしない...


かなり 怒られた記憶があります。
その時に 一人の女子が別な先生の所に行く為に
僕らの正座してる近くを通り過ぎました。
ちょっとすると その女子が 4、5人くらいの一般ピープルの女子どもを
引き連れて その先生の所へ行きました。
何人かは 明らかに 僕らが正座させられてるのを見る為に付いて来たと思われます。
多分 明日は この女子らが学年中の噂にするんだろうなぁ~と
全員の顔をチェックするような眼差しでした。


それから ちょっと過ぎたあたりで マドンナが一人で先生のところへ。
マドンナはチラッとこちらをみると こちらを見ないようにして
先生に何かを渡すと 小走りで走って行きました。


一般ピープルの女子どもとマドンナの 我々に対する この態度の差!
多分 一般ピープルの女子どもとマドンナの差は
見た目だけじゃなく この頃からも 人間としての大きな差があるんじゃないかな~


こってり怒られ 大判焼き屋への謝罪と出入り禁止がありました。
が、1ヶ月後あたりから また 大判焼き屋へ行くようになりました。


帽子の天辺を平らにする遊びは やめましたが...
アルミの皿の裏側にイニシャルを彫ってる奴がいました。
そのアルミの皿は お店で使われてました。
みんなで注文した後 一斉に皿をひっくり返し
そのT・Wのイニシャルを彫った皿を出した奴は 
みんなでジャンケンして負けた奴に 

もう1個 大判焼きを買ってもらえました。


この時の感性が いつの頃からかは分かりませんが 無くなりました...
今 呼び戻せることができるなら 呼び戻したいです。



Joe Hisaishi - Summer (Kikujiro)