里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

少年時代 Ⅶ (父と)  ~ あの頃のまま ~

私が とても小さい頃 

兄が庭の柿の木に縛られて大泣きしてる光景を見ました。
未だに鮮明に覚えています。


父は 平然とした顔で 兄を眺めていました。
私は 事情は分らないまま
感覚的ですが 
その時 絶対 悪い事をしたらダメだって思いました。


兄が小学校3~4年生で 私は まだ小学校へ行く前の頃の話です。
その日は 濃い群青色した夜空一面に 無数の星が瞬いていました。
その星空を指さし 兄が一生懸命 父に星座の説明をしていました。
私は訳も分からず 二人の真ん中に立って 兄と父と星空を見上げていました。
兄は台所の引き戸に白いクレヨンで 小さな丸と線を書きながら
父に一生懸命 星座の説明をしていました。
引き戸に白いクレヨンで書く兄を 父は怒ることなく静かに聞いていました。
兄が満天の星空を指さすと私も指さす方向を見ました。
それから 兄は引き戸に星座を書いて父に説明する時に、
私は 父と兄の両方の顔を見上げました。
兄を見て 星を見て 父を見て 星を見て...
短い時間だったのかもしれませんが 私には とても長く感じられて
今でも 当時のことを鮮明に覚えています。



私は 男ばっかりの兄弟の3番目です。

ただ 正確には 生まれて たった17日間で この世を去った姉がいます。

姉が亡くなったときの 父の焦燥感は 凄かったと

母から 何度も聞かされていました。分りませんが、

もし 姉が生きていたら

私は この世に生まれなかったかもしれません。

こればかりは なんとも言えませんけど...


私が大学4年生の時 母を亡くしました。
それから 父はずーっと 一人きりで生活してたと思ってました。


実際は違っていました。


島根の山奥の田舎の貧乏な家庭で育った三姉妹を
どのような事情かは分りませんが 面倒を見ていたようです。
長女の障がいを持った子供の面倒を見たり
次女、三女が 松江の高校の入学した時に 無償で下宿を提供してたようです。


実家の近くにスーパーがあります。
経緯は分りませんが 父は そこで働いていた長女のお子さんの面倒をみてました。
長女は中学卒業後 家庭の事情で すぐ スーパーで働くようになり
若くして結婚し 子供を産みましたが その子に障がいがあり すぐ 離婚
田舎に就職先がないので 松江のアパートで暮らしてました。
子供を施設で預かってもらえない時間帯のみ
父が その障がいを持った子供の面倒をみていたようです。


しばらくして 次女が松江の看護学校に進学するようになりました。
実家は 私や兄が使ってた空き部屋があるので 
そこを使っていいよと言ったようです。
次女は 最初の内は ちょっとヤンチャだったようです。
何とか卒業し 大阪に就職しました。

三女は大人しくて 高校を卒業すると 大阪で就職しました。


それと同時くらいに 次女が大阪からUターンしました。
田舎には就職先がないので 松江で 実家の空き部屋を使ったり
食事を食べに来たりしてました。


その次女が 無事 結婚をする事になりました。
父に結婚式に参加して欲しいと言ってたようですが
父は固辞しました。
三姉妹の親戚から あの 知らない人間は誰だって言われたりすると
迷惑がかかるので 固辞したようです。


でも 次女がウエディングドレスを着て 父と一緒に写真を撮りたいと言うので
父は 正装して式場まで行き 次女と二人きりの写真を撮りました。
父は その写真を とても大切にしてました。


次女の方からは いつも感謝の言葉を言われます。


とんでもないです。


父が母を亡くして 趣味の新聞の切り抜きをしてる以外は
ひとりで 何もない日々を送ってました。
経緯は分りませんが
3姉妹が 多感な青春時代を 人に後ろ指を指されることなく
精一杯生きてる姿を見ることが

そして貧しいからと言ってグレることもなく
きちんと一人前の人間になっていくことを見届けられたこと
これは 間違いなく 父の生き甲斐 そのものだったと思います。


父が 生き甲斐をもって人生を全うしたのは
みなさん 三姉妹のおかげなんです。


父が死んで 27年になります。
父の棺の前で 両手で二人の子供を抱きしめ大粒の涙を流してた次女の事を
今でも鮮明に覚えてます。


喪中につき 年賀ハガキを出さない旨のハガキが届きました。


今でも 次女のお子さんの〇〇ちゃんが 墓掃除を定期的にしてくれてます。


私は 若い頃 『オヤジの背中は意外と狭いんだよね~』
なんて 恥ずかしい事を言ってました。
私は馬鹿でした。
オヤジの背中の片隅で 遊び回ってるだけだったのかもしれません。
恥ずかしいです。


次女の方に 


  申し訳なくて ありがたくて
   ありがたくて ありがたくて...
    心から ありがとうございます。


父に聞かなかったので 分りませんが、

多分ですけど、

この3姉妹に 亡くなった姉を 重ね合わせてたような気がします...


この曲の このフレーズが 好きなんです。


♫ 幸せの形にこだわらずに

人は 自分を生きていくのだから... ♫



あの頃のまま / ブレッド&バター + ユーミン+松任谷正隆


                               Last 3

少年時代 Ⅵ    ~ やさしさに包まれて ~

今となっては 変な自慢ですが 

小学生の時は 家で勉強をしたことが一度もありません。

夏休み、冬休みの絵日記はもちろんのこと

毎日の宿題も 一度もやった事がありません。


でも こうやって一人前の人間として生きてます。(^Д^)


荒井由実の『やさしさに包まれたなら』を聞きながらブログを書いてます。

夢だったのか ひょっとしたら 私だけの本当のことだったのか

今では どうでも良いのですが...

残念ながら 今の 私に 『奇蹟はおこるよ!』と言われても どうなんでしょう...


私が小学生の時 かなり離れた所にある友達の家で遊んでたときの事です。

農業用ため池を2つ 大回りして 

多分 子供の足で 片道1時間以上かかってたと思います。


陽が暮れても 夢中で遊んでいて 

気がつくと 周りは かなり 暗くなってました。


私の家に向って 夢中で走って帰りました。

帰る途中 点在した家々に 裸電球のオレンジの明かりが ポツリ ポツリ...


普通に砂利道を通って帰ると 1時間以上 かかりますが

家に向って一直線に走ると 30分もかからないと思います。

ただ 砂利道は 電柱に取り付けられた電球の明かりで 道は見えますが

一直線上に走って帰ろうとすると 田んぼの畦道を走るので

明かりはなく 真っ暗です。


私は 月明かりを頼りにして 畦道を走って帰ることにしました。

夢中で走りました。

刈った雑草が畦道に積んであり 走る度に 強烈な雑草の香りが...

『やばい やばい』と 雑草でフワフワになった畦道を走っていると

地面を蹴ってた足の感触が 徐々に 軽く感じるようになりました。

変だなぁ~ 

足下を見たときに


まさか...


私の体が 50cm程 宙に浮いてました。

足をバタバタと 夢中で動かしても 浮いてるだけで 前に進みません。


どうしよう...


この時です。

突然 風が 背中の方から吹いてきたかと思うと

ビューンと 家の方に向って 私の体は 一直線に進んで行きました。


私は夢中で足をバタつかせました。

この調子でいけば すぐに家に帰れるぞ~


待って!

目の前に 農業用ため池が...


あああぁ~ ダメだぁ~ と思いました...


でも

私は ため池の水面の上を 風に吹かれて進んでいました。

がまの穂や 蓮の葉 水面にキラキラ光る星の光の中を

足を夢中でバタつかせながら 

岸辺に着き 農業用ため池がを通り過ぎると

我が家の裸電球のオレンジが 窓から漏れてるのが分りました。


『ただいまー!』 『おかえり』


この時が 夢だったのが 現実だったのか...


後から聞かされた事ですが 以前

夕方 子供が家に帰る途中 ため池に落ちて死んだんだ そうです。



やさしさに包まれたなら - 荒井由実(松任谷由実)

♫  小さい頃は 神様がいて

  不思議に夢を かなえてくれた

  やさしい気持ちで 目覚めた朝は

  おとなになっても 奇蹟はおこるよ


  カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の

  やさしさに包まれたなら きっと

  目にうつる全てのことは メッセージ


  小さい頃は 神様がいて

  毎日 愛を届けてくれた

  心の奥に しまい忘れた

  大切な箱 開く時は 今


  雨上がりの庭で くちなしの香りの

  やさしさに包まれたなら きっと

  目にうつる全てのことは メッセージ


  カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の

  やさしさに包まれたなら きっと

  目にうつる全てのことは メッセージ ♫