ゆるい午後にGO7GO

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

学生時代は美術部でした   (音楽2)

私の個室が倉庫状態で足の踏み場もないので 少し片付けることにしたが、
不要となった物でも思い出があり なかなか捨てられない。
今後 聞くこともないレコード(LP盤)が50枚ほどあるが 
捨てづらく とりあえず保留の状態にしている。


私が高校生の頃はビートルズが全盛で エレキギターを購入し
何曲かコピーをして友達と演奏をしていた。(当然 すごく下手)
大学に入ると ブリティッシュロック、サンタナなどをコピーするようになった。
(時間に余裕があったので結構 人前で演奏できるまでに)
就職活動が近づくと楽器演奏はやめ、主にジャズ喫茶でジャズを聴くように。
大まかな音楽の嗜好の変化を LP盤を並べ 写真に撮ってみた。

 

私の下宿先は 4畳半の部屋が4つとトイレ1つに小さな炊事場が1つの
こじんまりした平屋で それが3棟あり、4畳半くらいの風呂場と洗濯機がある
建屋が1棟あるところだった。そこの1部屋を借りた。
各棟には大きなアルミ(黄銅色)の鍋が1個あった。
私が借りた部屋の棟には 主(8年かけて卒業した方)が住んでいて、
最初 主が私の部屋に入ってきて住むにあたっての注意事項を言った。
『小麦粉と醤油は絶対 切らさないように。それと・・・』
私の引っ越し荷物にエレキギターがあるのを見つけて、
『お前 ギターやってるのか?軽音に入れ!』
と言った。取敢えず『はい。』と言うしかなかった。


鍋は各部屋の持ち回りで 仕送りのお金が無くなって来た時に 
みんなで すいとんを食べるというしきたりがあった。
小麦粉をこねて親指くらいの大きさにして ネギと醤油で味付けた鍋の中に放り込み
それを食べて 次の仕送りがくるまで飢えを凌ぐのである。
主の実家が農家らしく乾燥したシイタケや切り干し大根が送られてきてたが、
それを入れると最高の味付けとなった。他のメンバーは実家からの魚の缶詰などを
鍋に入れてたが、時々 お金がないのに白菜とかキャベツが入ることがあった。
これについては聞くのは禁句だったが、今思えば どこかの畑からの
物だったかもしれない。時効とはいえ、後ろめたさが・・・


大学の部室は細長い長屋のような建屋を 区切って各部が使用していた。
軽音は1番端にあった。ドラムとかアンプが盗まれるとヤバいのでカギをしていた。
軽音の隣が美術部だった。軽音の部室に入るには カギのかかってない美術部に
入り、それから壁の人が通れるくらいのサイズの穴をくぐって軽音の部室に入る。


主の指にはペンだこ以外のギターと麻雀の大きなたこがあり、
1年の半分くらいは部屋に居なくて ギターとバイトでフーテン生活をしていた。
主はリードギターで、私はベースをやった。
麻雀をやった後 真夜中の1時くらいにみんなで軽音の部室に行き、ハードロックを
演奏し、明け方に『夜明けの天ぷら屋』と呼んでいた『天ぷら屋』で天ぷらを買って
食べて寝るという生活をしていた。美術部に無断で 美術部にあるコーヒーを
時折 飲んでいた。正直なところ この生活を続けるとダメになると思っていた。


私の在籍してた学科に美術部に入ってる真面目な奴がいた。
美術部の連中は 休憩時間に部室に集まり コーヒーを飲んで喋っていた。
ある意味、羨ましい学生生活を送っているなと感じていた。
いつまでも 無断で コーヒーを飲むのはダメだと思い、
また、楽しそうだったので 私は美術部に入り生活態度を改めることにした。
私が美術部に部費を払うことで 堂々とコーヒーを続けて飲めるように。
最後まで絵は描かなかったが、単位習得には すごく助けてもらった。
また、美術の連中には フォークソングの良さも教えてもらった。


今にして思えば、部室の壁に穴が開いてなかったら・・・、
軽音の隣が美術部でなかったら・・・
多分ズルズルと 今とは全く違う人生を歩んでたのでないかと思うとゾッとする。


就職活動の時に 部活の事を質問されました。
『どんな部に入ってましたか?』
『美術部です。』
『どんな絵を描いてましたか?』
『山や海などが好きです。』
絵は描いてなかったので 咄嗟に『好きです』という表現をした。
絵を描いてるなんて嘘は言えないし、描いてないとも言えないし・・・


この年で 急に絵を描きたくなったけど、以上のような事があったので
何とか きちんとエンディングまで持って行こうと思う。



逆襲のプロローグ  

 回りに何もない、あるのは絶望だけの海を37日間漂流後に助けられた漁師の言葉で
『人間って、なかなか死なないものなんだなあ』という言葉がある。
哲学的な言葉として 今でも私の記憶に残っている。
後年、この漁師が隣町の漁網を盗んで執行猶予付きの有罪判決を受けた。
またしても この漁師は哲学はお金にならないことを実証してみせた。
多くの場合 哲学はお金にはならないが 
人の気持ちを変えるだけの力を発揮することがある。


私が会社員時代、長野県の会社に出張した時のことである。
ユニークな会社である事は事前に聞いていたが、
その会社の廊下の壁に額縁に入った社是が飾ってあった。
社是は以下のような文言であった。
 ~ 健康は全てではないが、健康が無ければ全てが始まらない ~
『これって社是ですか?』と聞くと『はい。』の返事。
『ふう~ん・・・ そうなんですか・・・』
その時の印象は 何か変な気がして すこぶる嫌な会社だと思った。
が、今思い返すと 哲学的な良い言葉に思えてくる。


私の事を『ヘロヘロ歩いてる』と浜モンが表現しているが、
多分 覇気を感じないからなんだろう。
取敢えず体を鍛えて 健康を併せ持った気力を取り戻すことにする。
それには 散歩程度ではダメで 負荷を伴った運動(例えば走り幅跳び)を
体が悲鳴を上げない程度にやることにする。
健康を取り戻すことは『手段』であって、『目的』ではない。
とても健全な目的(娘、浜モンなどとのトレッキング)はあるが、
それだけでは ちょっとつまらない。
もう一人の私の目がキラッと光り・・・