里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

落陽

各棟には大きなアルミ(黄銅色)の鍋が1個ありました。 

鍋は各部屋の持ち回りで 仕送りのお金が無くなって来た時に 
みんなで すいとんを食べるというしきたりがありました。
大体は 主(ぬし)の部屋に みんなが集まり 
マガジンかジャンプの表紙の上で小麦粉をこねて親指くらいの大きさにして
主(ぬし)の部屋から 
玄関脇のコンロに乗せた大きなアルミの鍋を目がけて投げ込みました。
ほとんどの小麦粉の団子は 鍋の中に入るのですが
たまには 壁に当たったり 玄関のスノコの上に落ちたりします。
鍋を外した団子は そのまま放置してるので 周囲は真っ黒な団子で凸凹肌様態です。
また 周囲に醤油汁が飛び散って 玄関周辺の廊下はネトネトしてるので
裸足で歩くと気持ち悪いので みんな 部屋への出入りは窓を使用して
玄関での出入りはしませんでした。


このすいとんを食べて 次の仕送りがくるまで飢えを凌いでいました。


主(ぬし)の実家が農家らしく乾燥したシイタケや切り干し大根が送られてきていて、
それを鍋入れると美味しくはありませんが 最高の味付けとなりました。
他のメンバーは実家からの送られてきた魚の缶詰などを鍋に入れてましたが、
時々 お金がないのにネギや白菜が入ることがありました。


下宿の隣に農家の畑がありました。
そこの子供の家庭教師を 昔 先輩がしていて その時
『畑の野菜を自由に持って行っていいよ。ただ、持って行ったときは連絡してね。』
と言われた事があるみたいで それから以降 困ったときに野菜を頂いてました。
私の代になると その農家の人の顔も分かりませんでしたが、
主(ぬし)から『後で言っておくから 気にしないで野菜を持ってきな。』
と言われ 時折 畑からネギを持ってきていました。
主が農家の人に連絡したかどうかは 分かりませんでした。 

また 私が始めて燻製を知ったのは ここの下宿でした。
主は あまり下宿先に居ることはありませんでしたが、フラッと戻ってくると
麻雀かギターかアドバルーンをあげるバイトをしていました。
時折 下宿先の庭で 段ボールを使って魚の燻製を作っていました。


私が学生の頃は どこでも よく 焚火をしていました。
下宿から出る週刊漫画の本や新聞紙を用いて 焚火をしてました。
主はこの焚火を利用して燻製を作ってました。


主はデパートの屋上などで上げるアドバルーンのバイトを よくやってました。
風が強くなるとアドバルーンは危ないので撤収しなければならず、
そのアドバルーンの見張りをする仕事です。
デパートの屋上でパイプ椅子に座ってるだけの簡単なバイトです。
主は『イスに座ってジャンプを読んでるだけでバイト代が貰える』と
喜んでました。このアドバルーンを上げる会社の社長と主が仲良しでした。
社長が釣ってきた小さな魚を 主がバケツに沢山入れて持って帰る事がありました。


その時には 下宿先ではみんなが集まって魚の燻製を作りました。
燻製にすると日持ちが良いので 1週間くらい 毎日 魚にありつけるからです。
焚火をして 火が弱くなったところで 桜のチップをばらまきます。
主は根っからの武士でした。
燻製用の桜のチップを買うお金があるなら 卵を買った方が良いと思うのに 
卵より桜の燻した香りの燻製を選ぶような人でした。
焚火の両脇に塀で使うブロックを置いて その上に 片方のフタを削除し
反対側のフタに沢山の穴を開けた段ボールを置きます。
小さな魚の尻尾のところをタコ糸で縛って一匹ずつ段ボールの中に吊るしました。
頭を下にして燻製にする方が美味しいので 面倒くさくても1匹ずつ吊るしました。


みんなで燻製が出来上がるまで ひたすら待ちました。
待ってる時の何とも言えないな気持ちを 
今でも 時折 フッと思い出すことがあります。


私が生まれ育ったところは 夕陽が有名で 観光の一つですが、
でも、私の中での一番の夕陽は 能登半島で見た夕陽です。
吉田拓郎の『落陽』の出だしの歌詞と同じ光景でした。


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