里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

氷の世界

始めての一人暮らし ビクビクとワクワクが交差する中 
下宿先への引っ越しの当日 主(ぬし)と人畜無害と静岡と初対面の時のことです。


主(ぬし)は文学部の7年生で 第一印象は とても普通の人じゃないよぉ~でした。
髪はお腹あたりまでの長さで 服装はオーバーオールに 寒くても半袖のTシャツを着て
その上にチャンチャンコを羽織ってました。
コメカミあたりの髪の毛がカールしてましたが 本人曰く 
盲目の歌手 長谷川きよしの髪型が格好いいから真似たんだと言ってました。

人畜無害は笑顔で向かい入れてくれ 優しい方で安心しました。
静岡は同じ一年生 フットワークが軽そうで問題なしでした。


主(ぬし)の部屋に みんなが集まって最低限のルールの話を聞きました。
『小麦粉と醤油は切らさないこと、靴下ははかないこと、下駄は共有、それと・・・』
私の引っ越し荷物にエレキギターがあるのを見つけて、
『お前 ギターやってるのか?軽音に入れ!』
と言いました。
取敢えず『はい。』と言うしかありませんでした。


大学の部室は 細長い長屋のような建屋を区切って 各部が使用していました。
軽音は1番端にありました。(多分、うるさいからでしょう)
部室のドアは ドラムとかアンプが盗まれるとヤバいのでいつもカギをしていました。
軽音の隣は美術部でした。
軽音の部室に入るには カギのかかってない隣の美術部に入り、
それから美術部と軽音の間のベニア板の壁に人が通れるくらいのサイズの
破れた穴があって そこをくぐって軽音の部室に入ってました。


主(ぬし)の指にはペンだこはありませんでしたが、
右手の指はマージャンだこ、左手の指にはギターたこがありました。
1年の半分くらいは部屋に居なくて ギターとバイトとフーテン生活をしていました。
主(ぬし)はリードギターで、私はベースをやらされました。
麻雀をやった後 真夜中に 時たまですが 軽音の部室に行き、
ハードロックや当時人気のサンタナなどの曲を演奏しました。
演奏が面倒臭くなってくると アフリカの民族音楽のような
コンガを叩き 意味もなく 高音でアァア~アァア~アァア~と歌い続けました。
特に何があるという訳ではありませんが、
ひたすら夜明けがくるまで 演奏を続けました。

夜が明けてくると 大学近くにある『夜明けの天ぷら屋』と呼んでいた『天ぷら屋』
が天ぷらを揚げ始めるので そこで熱々の天ぷらを買って 食べながら家路を急ぎ
部屋に戻ると炬燵に潜り込んで寝るという生活をしていました。
この生活が 私にとって とても衝撃的で楽しかったのですが、
正直なところ この生活を続けると 多分 ダメになると思っていました。


私の在籍してた学科に美術部に入ってる真面目な奴がいました。
美術部の連中は 休憩時間に部室に集まり コーヒーを飲んで喋っていました。
ある意味、羨ましい学生生活を送っているなと感じていました。
私は美術部に入り生活態度を改めることにしました。
最後まで絵は描きませんでしが、単位習得には すごく助けてもらいました。
また、美術の連中は フォークソングが好きなのが多くて
彼らの下宿先でフォークソングを聞くことによって
フォークソングの良さも教えてもらいました。


今にして思えば、部室の壁に穴が開いてなかったら・・・、
軽音の隣が美術部でなかったら・・・
多分ズルズルと 今とは全く違う人生を歩んでたのでないかと思います。
人の人生なんて ちょっとした事で 変わるんですね。

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