里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

献血

ぽかぽかと日差しが部屋に差し込む 暖かい陽気の午後だったと思います。
家へ帰ると浜モンがニコニコしながらヤクルトを持った手を差し出しました。
『ヤクルト飲む?』
『ん…?ヤクルト…?どうしたの?』
『献血して来たんだよ。始めて献血できた…』
ヤクルトをジッーと見てると 私は不意打ちを食らって みるみる目に涙が溜まって
嬉しさがこみ上げてきて 言葉にならない声を出しました。


30年ちょっと前の 今と同じ 春になる前の まだ少し寒い時の事です。
会社の昼の休憩時間に突然 浜モンから電話が掛かってきました。
『病院に行ったら 即入院するように言われたので帰ってきてほしい。』
急いで帰宅して 病院に連れて行くと すぐ集中治療室に入り 医師から
『明日 大学付属病院へ転送になります。』と。
若い医師に別室に呼ばれ 絶望的な言葉を言われました。
嘘でも数%の希望が持てるような言葉があってもと思いますが
100%絶望的な内容を宣告されました。
この時 娘は幼稚園の年長さんで もうすぐ1年生の時でした。
それから約半年入院し 徐々に人並み近い状態になり大学病院を退院しましたが
その時に 医師から言われたのが
『ここまで治ったのは 本当に奇跡です。絶対に油断しないでください。
 再発するかどうか分かりません。大切にしてください。』


それから5年経った時の事です。
まだ少し不安はありましたが お盆休みと会社に嘘をついて取った有給1週間を足して 合計16日間を使って 家族だけのテント泊の北海道旅行をしました。


その年の10月末 ぽかぽかとした日差しが部屋に差し込む暖かい陽気の午後の事です。
家へ帰ると浜モンがニコニコしながらヤクルトを持った手を差し出しました。
『ヤクルト飲む?』
『ん…?ヤクルト…?どうしたの?』
『献血して来たんだよ。始めて献血できた…』
ヤクルトをジッーと見てると 私は不意打ちを食らって 
みるみる目に涙が溜まって
嬉しさがこみ上げてきて 言葉にならない声を出しました。
この時 本当に病気から解放されたと思いました。
絶望的な言葉を言われ それを誰にも相談できず 一人で長い間 我慢してました。
それが 献血できるまでの体になりもう大丈夫だと思うと…


走馬灯のように記憶がくるくると頭の中を駆け巡ります。
大学病院のベットの上で 娘が1年生になったら使う色鉛筆の1本1本に浜モンが名前を書いていました。医師の言葉が頭をよぎり 辛くて直視することが出来ませんでした。
病院からの帰りの高速道路で私を見て不安に思ったんだと思いますが 娘が歌を歌ってと私に何度も言いました。歌いましたが 辛かったです… 
退院した後も 仕事が終わり家に帰るとき 家に灯りがついてるか 毎日が不安でした。
家の灯りがついてなかったらと思うと 怖くて なかなか家を見れませんでした。
毎日 家の灯りを見て ホッとしてました。


もう我慢しなくていいし これからは 家族を壊されることもない日々を過ごせるんだ…


小田和正の歌で『言葉にならない』という名曲があります。
この歌詞が ほぼ 当時の私の気持ちと ぴったりなんです。


 ♬ 終わる筈のない愛が途絶えた いのち尽きてゆくように
   ちがう きっとちがう 心が叫んでる
   
   ひとりでは生きてゆけなくて
   まだ あなたを愛してる   ← (ここだけ言葉を直してます。)
   心哀しくて 言葉にできない
   
   la  la  la … 言葉にできない


   せつない嘘をついては いいわけをのみこんで
   果たせぬ あの頃の夢は もう消えた
   
   誰のせいでもない
   自分が ちいさすぎるから
   それが くやしくて 言葉にできない


   la  la  la … 言葉にできない


   あなたに会えて ほんとうによかった
   嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない


   la  la  la … 言葉にできない ♬


ピアノの弾き語りバージョンを 今でも 一人の時 よく聞いてます。


      pv755.com/kotobanidekinai-pv


ヤクルトを見て 目にいっぱい涙を溜めて 言葉にならない声をだして…
なんて 自分がちいさくて 弱っちい奴だろうって思います…


30年近く経った今 浜モンは
車に乗ると 自分の言いたいことを言ってると思ったら寝息をかいて寝てます。
炬燵でTVを見て泣いたり笑ったりしてると思ったら 首まで炬燵に入り
大きな口をあけ 時にはよだれを口から垂らしながら 寝ています。
この 何気ない日常が 昨日も今日も明日も…

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