里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

大判焼の皿

私は 中学の時 部活はサッカーでした。
今は人気の部活のようですが 当時は 人気の部活は野球部かバレー部で
野球部やバレー部の男子は3拍子揃ってる奴が多くいました。
それに比べ サッカーは 人気がないというか 男臭い奴ばかりでした。
それと 何故か マドンナと呼ばれてた女の子たちは 軟式テニス部にいました。


2年生になると先輩が退部し 僕ら2年生と新入生の1年生で
新人戦や交流試合で 時期が来ると 午後に 授業に出ないで 
別の中学校へ自転車で遠征しました。
サッカーは接触する場面が多く 足を踏まれたり 
足が引っかかって転倒したりと カチンとくる場面が多くあります。
私の中学校のサッカー部のご神体は五寸釘でした。
前半に足が引っかかって転倒した者に 後半が始まる前に五寸釘を渡して
『あいつを刺してこい!』
が合い言葉でした。
実際に刺した者はいませんが、先輩で刺した人がいると噂で聞いたことが....


試合が終わり学校へ戻る途中 大判焼を食べて お店でたむろします。
そこのお店は大判焼をアルミの皿に大判焼きをのせてました。
体育会系の部室にあったボコボコの大きな薄い金色のヤカンと同じ材質です。
その皿を学生帽の中に入れてかぶって そこを叩くとカキーンと音がします。
それが面白くて みんなで遊んでました。
学校へ戻ると『あ~、やっちまった!』と言う奴を見ると
学生帽の上が 真っ平らになってます。
大判焼きの皿をいれたまま ウッカリ 学校へ戻ってました。


これがキッカケで サッカー部のみんなが 大判焼きの皿を失敬して
帽子の中に入れるようになりました。
今思うと 何が楽しいのか分かりませんが その真っ平らになった帽子を
叩くと カキーンと音がして それが楽しくて たたき合ってたと思います。
これは 直ぐに 先生に見つかってしまいました。
サッカー部の2年生が 揃って 帽子の天辺が平らで 異様に見えてたと思われます。
北朝鮮の金正恩の後ろに立ってる軍服姿の老人の帽子が真っ平らで
あの光景をみる度に アルミ皿で天辺を真っ平らにした学生帽を思い出します。


職員室に呼ばれました。
サッカー部の顧問の先生の机の周りに 
サッカー部の2年生 全員が正座をさせられました。
当時は コンドロイチンが まだ 沢山あったので大丈夫でしたが...


かなり 怒られた記憶があります。
その時に 一人の女子が別な先生の所に行く為に
僕らの正座してる近くを通り過ぎました。
ちょっとすると その女子が 4、5人くらいの一般ピープルの女子どもを
引き連れて その先生の所へ行きました。
何人かは 明らかに 僕らが正座させられてるのを見る為に付いて来たと思われます。
多分 明日は この女子らが学年中の噂にするんだろうなぁ~と
全員の顔をチェックするような眼差しでした。


それから ちょっと過ぎたあたりで マドンナが一人で先生のところへ。
マドンナはチラッとこちらをみると こちらを見ないようにして
先生に何かを渡すと 小走りで走って行きました。


一般ピープルの女子どもとマドンナの 我々に対する この態度の差!
多分 一般ピープルの女子どもとマドンナの差は
見た目だけじゃなく この頃からも 人間としての大きな差があるんじゃないかな。


こってり怒られ 大判焼き屋への謝罪と出入り禁止がありました。
が、1ヶ月後あたりから また 大判焼き屋へ行くようになりました。


帽子の天辺を平らにする遊びは やめましたが...
アルミの皿の裏側にイニシャルを彫ってる奴がいました。
そのアルミの皿は お店で使われてました。
みんなで注文した後 一斉に皿をひっくり返し
そのT・Wのイニシャルの皿を出した奴は 
みんなでジャンケンして負けた奴に もう1個 大判焼きを買ってもらえました。


この時の感性が いつの頃からかは分かりませんが 無くなりました...
今 呼び戻せることができるなら 呼び戻したいです。


今日までそして明日から  吉田拓郎


私は 今日まで 生きてみました
時には 誰かの力を借りて
時には 誰かにしがみついて
私は 今日まで 生きてみました
そして今 私は 思っています
明日からも
こうして生きていくだろうと


私は 今日まで 生きてみました
時には 誰かを あざ笑って
時には 誰かに おびやかされて
私は 今日まで 生きてみました
そして今 私は 思っています
明日からも
こうして生きていくだろうと


私は 今日まで 生きてみました
時には 誰かに 裏切られて
時には 誰かと 手を取り合って
私は 今日まで 生きてみました
そして今 私は 思っています
明日からも
こうして生きていくだろうと


私には 私の生き方がある
それは おそらく 自分というものを
知るところから始まるものでしょう
けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです 分からないまま生きていく
明日からの そんな私です


私は 今日まで 生きてみました
私は 今日まで 生きてみました
私は 今日まで 生きてみました


そして今 私は思っています
明日からも
こうして生きていくだろうと

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