里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

陽は昇り     前編

太平洋沿岸の崖っぷちから こんにちわ!


太平洋沿岸の崖っぷちにあるホテルに宿泊しました。 

夕方に到着し 早速 露天風呂へ直行。
露天風呂から見る景色は最高でした。 

露天風呂では撮影禁止でした。
この写真は陽が昇る前の朝の写真ですが 同じような夕陽の光景を 
露天風呂に入りながら のんびりと見ることが出来ました。
写真は 部屋からベランダに出て 撮影したので 
早朝の為 寒くて長い時間立ってられませんでした。


陽が昇る時間は あっという間でした。
徐々に陽が昇る瞬間のコマ送り写真です。 

陽が昇る時間の短さに驚きました。
どんなに わずかな時間でも 時間を大切にしようと この時 実感しました。


NHKの山の番組だったと思いますが、
1000回以上 羊蹄山に登ってる大先輩の話です。
登山は ご夫婦で 一歩一歩ゆっくりと 羊蹄山を登っていくシーンから始まりました。
ほぼ 会話も無く 黙々と ただ ひたすらに 一歩一歩
途中 疲れて 休憩します。
ボソボソっと会話があり 水筒のお茶を飲むと また 黙々と 一歩一歩
また 疲れて休憩します。
座った場所の後ろ一面には 町並み(多分 札幌市?)が広がって見えます。
奥さんが 大先輩に声を掛けます。
『おとうさん... 疲れた?どうする?終わりにする?』
大先輩は 黙って 少し 上を見ています。
『もうすこし 登ってみる?』
奥さんの声に反応するように立ち上がると また 黙々と 一歩一歩
少し登ったところで 休憩しました。
『おとうさん... 今日はここまでにしようか。』
大先輩は 奥さんの声を聞くと ゆっくりと立ち上がり 下山を始めました。


この時の奥さんの『おとうさん...』の声が 私の脳裏に焼き付いたままです。
この優しい『おとうさん...』の声の響きは 
切なさを 益々 助長して たまらない気持ちになりました。


今 思い出してみると 大先輩に向かって羊蹄山が
『今をしっかり生きろ!』と言ってるような光景に思えます。

里山から城跡へ

これは小田城跡の説明板にあった上空写真です。 
整備前の発掘途中の写真ですが、小田城跡を真っ二つに分断する中央の直線は
土浦駅から岩瀬駅までの約40kmを結んでいた筑波鉄道の路線跡で
1987年4月1日に廃線になりました。
この場所で ひたすら発掘作業をされてた方々は 
この廃線跡をなんとか修復させようと 必死だったと思います。
今は 国指定の史跡となり 修復され 芝生が敷き詰められてます。
文化財は 時代に翻弄されながら 乱暴に扱われたり 丁寧に扱われたりして
粘り強く生き延びていくもんですね。


廃線跡はつくばりんりんロードに生まれ変わって 自転車専用道になりました。
小田城跡を避けるようにして りんりんロードが作られてます。

これが現在の小田城跡ですが、多気城跡近くから一直線に 
りんりんロードは走ってるのが分かります。

この風景を小田城コースの要害展望所から見たかったのが1番の目的で
宝篋山に来たのですが...


整備され綺麗になったのですが 土塁が重機でゴリゴリの直線的になってしまい
私としては 点線のような 昔のままが良かったように思います。 

実際の写真です。 

図を見ると 犬走りがあるようですが 肉眼で確認出来ませんでした。
犬走りは お堀側にあり お堀から ずぶ濡れになりながら侵入してくる者への
対策で作られたと思いますが、
ちなみに山城跡の武者走りは 本丸側にあります。


当時 携帯が無い時代に敵の情報収集をし 本丸の作戦本部へ伝令するための
道として土塁に沿って武者走りは作られてました。
平地の場合 お堀があるので敵との距離が離れているので 当時の武器を考えると
土塁の上を走っても安全なので 武者走りは 特に作らなかったと思われます。
土塁と武者走りは 兼用されてたと思われます。


一方、犬走りは 敵と対峙するためだけのものであったと思われます。


馬出への道は 当時の状況が再現されてました。 

馬出は 城の顔というか ステータスなので 立派に作られてました。
 

橋の向こう側が 馬出です。


広すぎて あまり見ることが出来ませんでした。
再度 訪問しようと思います。