里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

山入城跡への再訪がフツフツと…

2年前に訪問した山入城跡が 思いのほか低評価のブログを読んで
いやいやいや…  それはないでしょ!
私の中ではトップ3に入る素晴らしい城跡だった記憶があります。
以前 訪問した時のブログを読み返しましたが
私の表現したい内容の半分も記載してませんでした。
当時の城跡に関する知識のなさ、プアーな表現方法で面白みに欠けてますが。


  
これでは 折角の名城跡が寂しい限りです。


なので 急遽 ポイントとしては集中的に3か所の詳細な調査をして
再度 ブログにアップしようと思います。


その1 馬出しの構造と伏線の進入路
馬出しの構造、形状、進入路などで ここで相手が複数で侵入してくるのを
防ぎながら かつ 2郭が見えない壁を用いた構造にしている部分。
古い話ですが ボクシングの世界戦で 辰吉丈一郎と薬師寺保榮が
戦った時の事ですが、勝った薬師寺のコメント『目を集中して殴りました。』
本当の闘いはフェアプレーなんて糞くらえです。命が掛かってます。
相手の弱点をとことん攻めることです。
この馬出しの構造を見てると 本当の闘い用に作られた構造だと思います。


その2 土橋と竪堀
土橋が馬出しと2郭の間にあり1人しか通れない細さで 
土橋の両端は急こう配の長~い竪堀の構造。
私は あえて この竪堀を 奈落の底まで落ちる堀と呼びます。
相手が土橋を通ろうとすると 馬出しと2郭の両端から総攻撃し
奈落の底に突き落とす構造になってます。
これは 正に現代社会のビジネスで 頻繁に叫ばれてるボトルネックそのもの。
相手方を一人、しかも両端が谷の細い土橋の上にすることで
相手の側のボトルネックを作っています。
この時代に このボトルネックの手法を取り入れてるのは凄い事です。


その3 2郭の右側が広い路、左側に細い路
馬出しでは細い路だったので 心理的には 同じく細い路を行くと
思うが 実際は 広い路を進まなければなりません。
ここが 第3の罠です。
4~5人が 広い路に横一列になって待ち受けます。
しかも左上には 2郭に山入側の兵がいます。
L形の構造で 一人を待ち受けてますので ここを突破するのは難しい構造です。
このL型の構造は 1970年代の学生運動の全盛期にデモ隊が
デモを有利に展開する方式で採用されてましたが、
山入城では この時代に 同じ手法を取り入れてます。



最近 ブログを書くのが億劫になってきました。
多分、書こうとしてる内容が 乏しくなってきてるからかも…


今回は 山入城跡へ行く前からワクワクしてます。
ザーッと粗筋を書きましたが 山入城跡に再訪し
写真と詳しい内容を 楽しみながら書く事によって
マンネリから脱却しようかなと思います。

 

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