ゆるい午後にGO7GO

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

浜モン語録

最近 浜モンが困った状態の時に 
とても短い言葉でその場を乗り切ってるのを見てると 
ほんとに感心してしまう。


少し前のブログで、『でしょう⤴⤴』という 
相撲の決まり手で言えば『肩透かし』のような言葉を紹介した。
この言葉が 今 流行っているのかどうか分からないけど・・・
感心しちゃうね 全く!


あと2つほど紹介すると、


1) だよね~⤴⤴


私が風邪の薬を落として 探そうとテーブルの下を見たら
反対側の浜モンの椅子の回りのフローリングが一面傷だらけ。
ビックリして浜モンに
『フローリングが一面 傷だらけになってるぞ!』
と言うと、浜モンは
『そうなんだよね~⤴⤴』
と言う。
『知ってたの!?』
と問い返すと
『チョークで塗るしかないんだよね⤴⤴』
まるで他人事なんですけど・・・。
確かに チョークで塗るしかないんだけど 何で黙ってたんだろう。
仮に逆の立場で 私が黙っていたら 
それこそ大変 ご立腹されると思うが・・・。
今までの経験からすると これで終わらないんです。
数週間後に チョークを私が塗ってなかったら こう言うでしょう。
『フローリングが傷だらけなのに 何でチョークを塗らないの。
傷ついてるのは 分かってんだから! 何やってんの!』


2) あ~ こりゃこりゃ!


家で必要なものを 私が色々と買ってきてレシートを見せ、
『これだけかかったから バックして。』
と、お金を請求したら 浜モンが
『あ~ こりゃこりゃ!』
と言った。大昔に聞いたことがあるようなフレーズ・・・。
どういうことなんだろう。
確かに一部は私しか使わないものもあるが、
多くは 家で必要なものなんだから・・・。
もう1回 繰り返すと、
『あ~こりゃこりゃ! 何回言ったら分かるかな⤴?』
私は小さな声でつぶやきました。
浜モンに聞こえたかどうかわかりませんが・・・
 『もう二度と 家で必要なものでも買ってこない事にします。
それにしても 『あ~こりゃこりゃ!』なんて言葉は
古すぎて化石化してるんじゃねえの!
あなたの化石化は 大丈夫なんでしょうね!』


 


中1の体育祭の記憶が鮮明に蘇る!(保健体育4)

山の稜線のペン画を夢中で描いてる時、
無我の境地になるのかなと思っていたけど、
実際は凡人なので描いてると過去の色々な事を思い出した。
特に 中1の体育祭は 鮮明に記憶が蘇ったのである。


私の入った中学はマンモスで 1学年で10クラス以上あり、
多分 全生徒では1500人くらいいたと思う。
中学に入って始めての体育祭で、
各クラス毎にデコレーション(竹で作ったはりぼて)を製作することを知った。
安全のため 大きさの制限(多分高さ2m以下)はあったが、
各クラスが何をつくるかは自由に決め それぞれのクラスで製作を競った。
ほとんどのクラスは 達磨やチビ太やイヤミを製作した。


1年4組では先生が腎臓病で体育ができないY君に
はりぼて製作を中心となってやるよう指示をした。
私はY君とは小学校の時から仲良しで 
中学になってクラスは違ったが一緒に下校をしていた。
彼は勉強はあまり得意ではなかったが、漫画はとびぬけて上手だった。
特に ゴジラの絵は 迫力があった。
Y君の発案で4組はゴジラを作ることになったが、
誰が見ても 大きすぎて体育祭までに製作が間に合わない感じだった。
1週間くらい前から クラス全員で昼休みや放課後にも残って製作してたが
大人しかったY君が 妥協せず 背びれを追加したり 
尻尾を大きく再製作しだした。とても間に合いそうにない状況だった。
毎日 グランドの暗闇の中で製作してる生徒を見かねた体育教師が
『校長室の上のサーチライトで1時間だけ照らすから1時間だけやったら家に帰れ。
それと 朝6時に門を開けてやるから あとは朝に製作しろ。』と言われた。
私は クラスが違ったので製作の手伝いはしなかったが 
Y君の 遅い下校と早朝の登校は 毎日付き合った。


うす暗いサーチライトの中で はりぼてを作っている生徒を 
校長が 時々カーテンを開けては覗いていたのを覚えている。


体育祭の当日 ゴジラのはりぼては 右足の一部を残して完成した。
体育祭の間中 Y君を中心に数人が 右足のはりぼてに紙を貼り色を塗っていた。
ゴジラは どのクラスよりも 素晴らしい出来栄えだった。
だけど、体育祭が終わりに近づいた時、体育教師がやってきて、
『みんなよく頑張ったな。先生はゴジラが1番良いと思うけど
大きさの制限に違反してるからな~。
採点してもらえるかどうか分からないんだよな~。』と言って立ち去った。
不吉な予感である。


デコレーションの結果発表が始まった。1年生の3位からである。
どのクラスも自分たちが作った はりぼてを少しずつ前に押し出している。
3位、2位の発表があり、最後の1位の発表である。
私は4組のゴジラの1位を願った。誰もがゴジラが1番だと思ってたと思う。
結果は 違うクラスが1番だった。
引き続き2年、3年の発表があり、最後に校長先生のあいさつが始まった。
4組のみんなのため息が聞こえてきた。


校長先生が、
『今年の体育祭は 本当に良かった。みんなが頑張ってる姿に感心した。
そこで 今年は特別に賞を上げることを 先生全員で決めました。
 最優秀賞 1年4組 ゴジラ 』


Y君をみんなが押し出して、Y君が最優秀賞の賞状を受け取りました。


大歓声が起きました。4組はみんな泣いてました。
私たちの年代の男子は人の前で泣いたら恥ずかしいという風潮がありましたが、
みんな泣いてました。
私も泣きそうになりましたが我慢しました。
2年や3年を押しのけて最優秀賞になったことがうれしいのじゃなく、
最後まで諦めないでみんなで頑張って作ってたことを
ずーっと見守って 認めてくれたことが ほんとに嬉しかったんです。


私はこの時の事を忘れることはありません。
これは 私の心の中に 今でも残っていて 
私自身の心の支えにもなっています。


娘が大学の研究室の事で 落ち込んでいた時、
『諦めないで どんなことにも前向きに取り組め。
必ず 誰かが見ていて 認めてくれる。
どんなことにも諦めないで取り組んでると
チャンスは 必ず 与えてくれるから 逃げるな。』
と書いて 送ったことがあります。
奇麗ごとと言われれば それまでかもしれませんが、
これを娘に言わなっから 
ひょっとしたら 娘の今のドイツでの仕事はなかったかも・・・