里山で遊ぶ

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久昌寺旧跡にある謎の隧道は山寺水道トレーニング?

久昌寺旧跡にある謎の隧道の話は前回の<付録>で 最後の予定でした。


常陸太田市 教育委員会 文化課のTさんに
久昌寺旧跡にある謎の隧道について教えて頂いた事に対する御礼のメールを返信しました。
その時にヨッキれんさんの久昌寺旧跡にある謎の隧道のレポートについて
併せてご連絡しました。
流石に もう返信のメールはないと思ってましたが...


Tさんから とても丁寧な内容のメールがきて 恐縮しました。
そのメールをコピペします。


里山歩様


「ミニレポ第193回 久昌寺旧跡にある謎の隧道 - 山さ行がねが」拝読しました。
その中に
「ごく僅かな可能性としては、何かより大きな土木事業の試験的に、
技術のトレーニングのような目的で隧道掘削をしたとかならば…」との記述がありますが、その可能性も否定はできません。


旧久昌寺の周辺は水の便が悪いため、光圀は永田円水に命じて
「山寺水道」と呼ばれる全長約2㎞の岩盤を掘ったトンネル式の水路をつくらせています。トンネルは、高さ1.6m、幅1.3mほどの不整形なかまぼこ型をし、
底には幅、深さとも30㎝ほどの溝が掘られ、
旧久昌寺の井戸とその周辺の集落の井戸に注がれていました。


永田円水は甲斐に生まれ、父の初代茂右衛門とともに鉱山土木技師として知られて、
寛永17年(1640)に水戸に来て以来、藩内の金山開発や治水・利水事業にあたりました。元禄16年に75才で没し、旧久昌寺南側の墓所に葬られています。


この水道事業のため試験的に掘った可能性も考えられますが、
それを裏付ける史料は残念ながらありません。


どの様な経緯で作られたか分かっていませんが、
他の江戸時代に掘られた隧道よりも古く、貴重なものであるとご教示いただき、
大変参考になりました。
ありがとうございます。


この返信メールの中に出てくる山寺水道を調べてみました。
久昌寺旧跡にある隧道の近くにありました。
茨城県指定文化財です。
全長約2kmのこの山寺水道に ヨッキれんさんが気づいていたら
このトンネルを突進してたのかもしれませんね。


私は 腰痛持ちなので 2kmの間 真っ暗闇の中
腰を曲げて歩いて行けるほどの 体力も気力もそして精神力もありません。


 

画像はお借りしました。近日中に訪問し 画像は差し替えます。


ここで 一つ 大きな発見をしました。


「ごく僅かな可能性としては、何かより大きな土木事業の試験的に、
技術のトレーニングのような目的で隧道掘削をしたとかならば…」との記述に対して
私は 全く別の感想を持ちました。
ヨッキれんさんのレポートの隧道の写真を見た時の第一印象が
切削が 随分雑な印象で きっと 多分 当時の学生のような立場の者が 
切削技術を学ぶ場として 誰かにイヤイヤやらされてるんだろうと思いました。


近くに水戸の弘道館があります。
弘道館は 現在に例えると日本最大規模の総合大学のようなもので
建築・土木工事などの授業もあり ひょっとしてここが土木工事の演習の
場所の可能性があるのかな...と思ってましたが 時代が違いすぎました。
学生に徳川慶喜がいたようです。
近くに水道が掘られてた事は 微かに記憶にはあったのですが、
時代が違いすぎるので 技術のトレーニングに関しては 私の頭の中から消えました。


文化課のTさんの見る視点は さすがですね。
山寺水道と結びつけるあたり 嗅覚というかセンスというか 凄いです。


なによりも 山寺水道の事を何もしらない筈のヨッキれんさんが
隧道を見て 何故掘られたかの疑問に対して
「技術のトレーニングのような目的で隧道掘削をしたとかならば…」
と推理するセンスには ただただ 脱帽です。

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