里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

久昌寺旧跡にある謎の隧道  後編

この写真 人の目に見えませんか? 

エッ 見えたんですか?
そうですか⤵
ん.... そうですか⤵
やめときましょう。


前回は 痛恨のミスで久昌寺旧跡にある謎の隧道に辿り着けませんでした。
案内板に従って 車を走らせます。 

矢印の方向へ進みます。 

坂を上り、下っていきますが 突き当たりの右側に山の寺があります。 

山の寺の駐車場に車を止めて 寺の脇の道を歩いて進みます。 

車の通った後がありますが、車で行かないほうが無難だと思います。
 

すぐ十字路に出ます。 

十字路に歴史の里ハイキングコースの案内板が設置されています。
旧久昌寺跡は直進100mの所にあります。 

道の左側に石碑がありました。振り返ると...

蝉の声の他は 何も聞こえません。
長閑と言えば 長閑で...
ところで隧道(トンネル)は何処にあるんだろう?
道をまっすぐ進むと行き止まりでした。
石碑の反対側は暗くて分かりづらいのですが どうも行き止まりみたいです。 

ここまで来て 隧道(トンネル)の場所が分からんとは...
道の前後に隧道(トンネル)は見えないし、左は石碑しかないし、
取り敢えず、暗闇に向かって まっすぐ進んでみましょう。

暗くて 分かりませんが 崖しか見えないんですけど!
もう少し 先へ進むと 

ひょっとして これが隧道(トンネル)なの? 

近づくにつれてトンネルっぽく 見えてきました。 

 

横幅は2.5m~3mくらいで 高さは1.5m~2mくらいです。
人は通れますが 車は無理だと思います。
全長は30m弱程度かなと思います。
隧道(トンネル)の先は竹藪でした。

 

隧道の脇に 回り込むような形で石碑に辿り着ける道がありました。
最大の謎 何故 わざわざ 隧道を掘ったのか?

竹藪の側の道から隧道(トンネル)に入ってみましょう。

反対側から射す光の中に 石碑が見えました。

これだ!!
多分 この為に隧道(トンネル)が掘られたのではないかと!
仮に 久昌寺がこの場所に残っていたら 最高のシチュエーションです。


石碑の所へ戻りました。

裏側に細かな文字がビッシリ刻まれてましたが
何が書いてあるのか分かりませんでした。

隣の説明板を見ました。


最大の謎 何故 誰が 何時 わざわざ 隧道を掘ったのか?


久昌寺の開山に関して 光圀が かなり尽力していた。
久昌寺に生母が埋葬されていて 光圀が住んでいた場所からの墓参りは
藪の中の道を通っていたと思われる。
久昌寺には3000人もの僧が ここで学んでいた。
私の持って行ったコンパスは ほぼ 東西の方角で掘られていた。
何よりも あの目の形をした隧道の謎を探るべく
一つ一つ パズルのピースを埋め込むような作業をして
私なりの結論を 次回に出したいと思います。


では これにて

久昌寺旧跡にある謎の隧道 道に迷う 前編

久しぶりに ブログを読んでワクワクしました。
やまみほさんが紹介されてた『山さ行がねが』にドはまりです。

何気なく 隧道(トンネル)レポートの地図で近場を探し
それ程 期待もしなくて読みました。
が、ノンストップで読み終えました。
私が高校1年の時、どうしても欲しくて 始めて自分で買った本(文庫本ではない)が
『サハラに死す』という題名の本です。
その時に一気に読んだ後のワクワク感に似た感じになりました。
その内容がこれです。

今の私には ちょっと ここへ行く勇気はありませんが...


他に私が行けそうなところはないか調べると
ミニレポートの地図に 久米城跡の近くの『久昌寺旧跡にある謎の隧道』がありました。
このレベルならは楽勝で行ける筈。


『久昌寺旧跡』の案内板通りに行けば 簡単に行けるような事が書いてあったので
事前準備もしないで家を出ました。
近くまでは行けましたが、周辺を3往復しましたが たどり着けませんでした。
撤退しました。悔し~~!
家に帰って 詳しく調べると 山の寺の脇の砂利道を進んでいけば行けたんです。
車では無理で 歩いて行くことになりますが。
なんてこった!


場所は事前準備をしませんでしたが 
この謎の隧道に どのようにアプローチをかけるかの準備は やっておきました。
脳みそは衰えてるはずですが、ワクワクすぎて
次から次へと アイデアが浮かんできて 自分でもビックリでした。


筆者は水戸黄門と何らかの関係があるのか検討されてましたが、
私は 下記4項目の観点で調査をしようと思います。
隧道(トンネル)の大きさが 縦、横とも 大きすぎるので
(当時はそんなに身長は高くないし、仮に水戸黄門が両側に助さん角さんを
伴っても せいぜい2mもあれば充分)
隧道だけの目的で造ったとしては なかなか理由になりずらい訳で...


1) 近くに久米城跡があるので 久米城跡との関係があるのか?
2) 近くに砂金がとれてた金鉱があったので 何かのデマに惑わされ掘ったか?
3) 隧道(トンネル)ではなく防空壕ではなかったのか?
   車で30分ほどの位置に 昔 日本軍水戸東飛行場があり
   特攻隊が出陣してました。
4) 弘道館が演習場として使っていたか?
   
道が分かったので 近日中の晴れた日に 行ってきます。