里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

高部館(山城跡)で遊ぶ  ②

 

高部館(たかぶだて)七の曲輪からこんにちわ。


今回 高部館で遊んだコースです。 

誰もいない里山を登っていきました。
最初に 南第一堀切で寿コースと若武者コースに分かれます。 

寿コースはロープを掴みながら 急坂を横切る形の道を進んでいきます。 

私は若武者コースを歩きました。 

南第一堀切の溝に沿って進みます。すると崖の上からのロープがあります。 

この崖を登り切ったところに南第二堀切があります。
幅が3mちょっとくらいで 深さが2m以上あります。長い年月を経てもこの大きさですから
当時の兵士(多分 当時の身長は150cm弱くらい)にとっては難関だったと思われます。 

堀切の底に杉の橋が設置されてました。 

この堀切の底からは ロープを使って登っていきます。
南の曲輪、五の曲輪、四の曲輪へと進んでいきました。 

ベンチに座って堀切の方を見たところです。
矢印の部分が堀切で 敵が侵入してくるのが一目で分かります。 

四の曲輪を進んでいくと武者走りがあります。 

武者走りを 思いっきり走りたかったのですが ちょっと障害物が多すぎました。
左側は 高さ2m以上の土塁が連なっていて 個人的には感動しました。
小走りで進み 一の曲輪(本丸)に出ました。 

本丸の中央に説明板が設置されていました。


城跡散策は とてもマイナーな遊びなので 多くの方は読むのが 
このあたりでもう限界かも。
ここで 少し 想像で遊んでみたいと思います。


高部館(たかぶだて)が正式名称ですが、
余湖さんは大城郭なので高部館を高部城と呼ぶと書いてあります。


私は何故 高部を『たかべ』ではなく『たかぶ』と呼ぶのか疑問なんです。
3組のお笑い芸人が『べ』でなく、『ぶ』だったら 以下の推理をしました。
はらいちの澤部(さわべ)が(さわぶ)、アンジャッシュの渡部(わたべ)が(わたぶ)、ピースの綾部(あやべ)が(あやぶ)と呼ばれていたら どうなんでしょう。
サワブ、ワタブ、アヤブって中近東あたりの名前っぽいですね。
これで濁点を取ると、サワフ、ワタフ、アヤフで ロシアのウラル山脈の麓っぽい
名前になってしまいます。
ここでピンとくる人がいると思いますが、インドの西側から中近東、ウラル山脈の西側
一帯は 血液型がB型の人が多く住んでいます。
渡部と綾部は かなり良いところまでいきながら 何故か自爆の道を進んでいきました。
能力はあるんだから 周りと協調すれば それなりに成功するのに、
インドタイプのB型は自爆の道を進んでいくんですよね...
カレーが好きなB型の人 能力はあるんだから 自爆しないように注意しましょう...


話を元に戻します。
本丸から(A)地点にいきました。
ここが主戦場だったのでないかと想像させるような雰囲気と匂いがしました。
ここで 暫く遊びましたが 内容は後で記載します。
遊び終えると武者走りを通って二の曲輪へ行きました。 

こちらの武者走りは綺麗に清掃されていました。 

この後 二の曲輪から土塁を登って三日月砦へ行きました。
土塁が半端ないです。八村塁、塁、太川陽介のルイルイ、塁だらけです。 

七の曲輪のベンチが見えました。 
七の曲輪へ行くと 木が伐採されていて 展望がひらけてます。

たまらない風景です。 

集落が見えますが、この道の先は白河(福島県)方面です。 

杉の植林地帯が見えます。 

こちらは馬頭(栃木県)方面だったと思います。 

山の稜線を見ていると故郷を思い出します。
山の中に住んでいた訳ではありませんが、子供の頃にみんなで
山で遊んだ記憶が 蘇ってきます。


青い空に くっきりと浮かぶ白い雲 風を突っ切って稜線を駆け抜ける仲間たち
 

時間が過ぎていくのを忘れ 丸太で造ったベンチに座ってました。


長くなったので 一旦 終わりにします。

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