里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

山寺水道

前回 紹介したメールのコピペです。


「ミニレポ第193回 久昌寺旧跡にある謎の隧道 - 山さ行がねが」拝読しました。
その中に「ごく僅かな可能性としては、何かより大きな土木事業の試験的に、
技術のトレーニングのような目的で隧道掘削をしたとかならば…」
との記述がありますが、その可能性も否定はできません。


旧久昌寺の周辺は水の便が悪いため、光圀は永田円水に命じて
「山寺水道」と呼ばれる全長約2㎞の岩盤を掘ったトンネル式の水路をつくらせています。トンネルは、高さ1.6m、幅1.3mほどの不整形なかまぼこ型をし、
底には幅、深さとも30㎝ほどの溝が掘られ、
旧久昌寺の井戸とその周辺の集落の井戸に注がれていました。


永田円水は甲斐に生まれ、父の初代茂右衛門とともに鉱山土木技師として知られて、
寛永17年(1640)に水戸に来て以来、藩内の金山開発や治水・利水事業にあたりました。元禄16年に75才で没し、旧久昌寺南側の墓所に葬られています。


この水道事業のため試験的に掘った可能性も考えられますが、
それを裏付ける史料は残念ながらありません。


古代のヨーロッパの地下道を彷彿とさせる山寺水道の写真を見て 
これは行くしかないだろうと思いました。


すぐに案内板は見つかりました。 

道路脇にひっそりと立ってますが 場所が分かりません。 

こうなったら 近所の方に 片っ端から聞くしかありません。
家の前の雑草を取ってる方に聞きました。
『山寺水道をご存じですか?』
『すぐそこに案内板が立ってますよ。』
『案内板は分かったのですが 実物が何処にあるか分からないんです。』
『案内板の向こう側に廃屋があります。そこを入ると 山寺水道にはいる鉄製のドアが
 壁にありますから そこを入っていきます。』
『エッ!廃屋にはいるんですか?ドアを開けるとあるんですか?』
『今は誰も住んでいないから... 多分 ある筈だよ。』
どうしようか迷いましたが 行くことにしました。 

ここを進んでいきます。 

廃屋とは聞いてますが さすがに気が引けます。 

壁って ひょっとしたら家の中にはいるのか?
あたりを見回すと 

ドアらしき者が見えました。家の中ではなくてホッとしました。 

近づきます。 

残念なことに鍵がかかっていました。
錆がひどくて今にでもボロボロに崩れ落ちそうな鉄のドアを引っ張ってみました。
鍵がかかってる周辺の錆びた鉄が 変な音がしてちぎれそうになりました。
ここまで来て 残念ですが撤退です。


この中がどうなってるかネットで調べてみると
近くの小学生が 許可を得て 社会科見学で中を見たようです。
その時の写真がありました。 

山寺水道に突入したいのですが 安全上の理由?なのか 非公開のようです。


なお 最後に 永田円水について一言。
永田親子は 鉱山採掘の土木技術にも長けていました。
日立鉱山にも関わっていました。
日立鉱山は銅で有名ですが 金も採掘してました。
一時期ですが 日本の金採掘の40%が 茨城県なんですけど ビックリですね。
日立鉱山で使用する機械の修理製造部門から日立製作所が誕生してます。


 たかが隧道 されど隧道 


隧道が日本を動かした時代があったんですね。

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