里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

虎塚古墳から埋蔵文化財調査センターへ 前編

 

埋蔵文化財調査センターには古代から近代までの発掘されたものが展示されてました。
防毒マスクです。
この形 ジブリのアニメで見たような記憶があります。
ついでに 異色の出土品を…   

オジロワシです。
オジロワシは権威の象徴だったんでしょうか?
当時(400~700年)は この地域にもオジロワシが普通にいたんでしょうね。
今では 温暖化の影響(?)か 見かけることはありませんが。


先日、車塚古墳をボランティア活動で整備していた人から聞いた話の内容が多くて
前回のブログに全部を載せませんでした。
興味のありそうな内容を虎塚古墳を書く前に 最初に載せようと思います。


車塚古墳から車で15分くらいの場所に 国指定史跡 虎塚古墳があります。
両古墳の間に那珂川が流れています。
ボランティアの方が言うには、車塚古墳は円墳の北限で 那珂川の向こうには
当時 蝦夷(えぞ、えみし)が住んでいたそうです。
私は 蝦夷は朝廷(国家)に従わなかった反骨精神の塊のイメージがあります。
現代においても
『この川(那珂川)の向こうの連中は ちょっと違うんだよね。』
と、地元の人に言われた事がありました。
DNAが まだ残っているんでしょうか?
ちなみに 私がハイキングに行く里山は 那珂川の北側にあります。
リンゴの産地の南限(那珂川の向こう側)とミカンの産地の北限(那珂川のこちら側)
が同じ県にあったりして、面白いです。


もう一つ
銚子の犬吠埼の先で 黒潮(日本海流)と親潮(千島海流)がぶつかり
漁場としては最高ですが 
当時の小さな船で 太平洋の犬吠埼を超えて行こうとする事は自殺行為だったようです。
ほぼ 小さな船は転覆してしまったそうです。
その為に 小さな船でも安全な利根川や霞ヶ浦の水上交通を利用したそうです。


虎塚古墳は 周りが畑の 静かなところにあります。

前方後円墳で全長56.5m、後円部32.5m高さ5.5m、前方部幅38.5m高さ5mです。 

私がタイマーを使って古墳前で自撮りをしてる時に 突然オバサンが犬を連れて
前を横切りました。
誰もいないと思ってましたが いきなり人が現れて ビックリしました。
慌てて、多分、『オー!ノー!』のポーズをとってます… 

前方後円墳の中央あたりに古墳の天辺に登れる場所がありました。 

古墳は 結構 高さがありました。
年に二回 古墳の中が公開されます。(今は非公開です) 

中には 壁にベンガラで書いた幾何学模様の絵があります。
(この写真は埋蔵文化財調査センター内にあるレプリカです)


この虎塚古墳から少し先に行くと十五郎穴があります。
700年頃の横穴式の集団墓地です。     


ここから車で数分のところに 古墳調査をしてると思われる集団を見たことがあります。
全員が赤いツナギを着た若い男女で 多分 どこかの大学の研究室かも…
そこへ行ってみました。 

昼間でも薄暗い小高い場所ですが 中へ入っていくのを ヤメときます。 

この場所は 一面 田んぼです。
稲を植えた(5月初め)頃、遠くに沈む夕陽で 
幅広の一筋の赤いじゅうたんが田んぼの水面にきらきらと
輝いてる瞬間(10分くらい)が年で 2回くらい見ることができる
私のお気に入りスポットです。


埋蔵文化財調査センターに展示されている出土品に圧倒されました。
素晴らしかったです。
市が運営してるので 人がほとんど訪れませんが、勿体無いですね。


内容が豊富なので
次回 中野富士山古墳と合わせてブログに書こうと思います。


予告として 展示品を1作品だけ これ何に見えますか? 

答えはワラジです。 


読んで頂き ありがとうございました。

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