里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

ご褒美のおやつタイム  後編

前編で小幡城跡の周囲を囲んでいる道(空堀)の形が
何故 五角形をしているのかについて 想像をしながら書きました。


この他に 二つの疑問があります。
その一つが 土木技師と建築技師が互いに相手の気持ちを理解しながら
小幡城を完成させたのではないかと思われる部分を見つけた事でした。
そこには 私の推測では 土木、建築の責任者の技師の血液型が
大きく関係してるのではないかと思われました。


取敢えず 私の推論を書く前に 血液型の予備知識を記載します。
ご存じの方が多いと思いますが、ニホンザルはB、O型だけで A型はいなく、
当然 AB型も存在しません。ほぼ B型の筈です。
私の推論では、IBM会長の言葉で
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である」がありますが、
ニホンザルは変化できるB型が生き残り 
生真面目で変化できないA型が淘汰されたのではないか…
あくまでもニホンザルについての私の推論です。


J~Lの道は 東西の方向に対して時計方向に8°ずれています。
これは鎮守の森の端に平行となるように道を設計したと思われます。

当時は 直角を求める術は知ってました。(3:4:5の直角三角形で)
普通であれば 小幡城に続く道は 8°ずれたまま造ってたと思います。
しかし J~Lの道から小幡城に続く道(K点)は直角ではなく 真北になっています。
多分 太陽光を用いて正確に北を計測し 道を造ったと思われます。
私の推測では 変化に柔軟に対応できるB型の土木技師が造った道に対して
城を建てるA型の建築技師が8°という中途半端なズレが我慢できなく
どうしても真北になるようにB型の土木技師にお願いしたと思います。
B型ですから 変化に対応できるので変な形になるが
建築技師のお願いを聞いて真北になるよう道を造ったのかな~ なんて想像します。
ただ 真北に造る条件として「これは俺が考えたことにしていいか?」と言った
B型の土木技師に対して 心優しいA型の建築技師は了解したと思います。
あくまでも推測です…。


余談ですが… 城跡の後ろ側に井戸跡があります。
説明書きを読むと心優しい美しい女性が井戸に身を投げたとなってました。
理由が書いてありましたが忘れました。
私が生まれ育った場所にある城の井戸にも同じような説明書きがありました。
あちこちの 井戸で 同じような説明書きを見た事があります。
これは ほとんど作り話だと思います。
でなければ、心優しい美しい女性は 昔 みんな 井戸に身を投げ 
淘汰されてしまってる事になりますが、そんな事はありません。
この小幡城は 最後は佐竹藩で管轄してました。
佐竹氏は茨城から秋田へ行くときに茨城の美しい女性を
全部連れて行ったと言われてます。そのため 秋田には美人が多く 
茨城は… なんて… ほんと ひどい作り話ですよね … きっと。 


もう一つの疑問は 書くのが面倒くさくなったので 粗筋だけ。
この城は 北、東、西から攻められても強い形状になってますが、
南側は 空堀も浅いし 城の正面は竹藪だし かなり弱い形状で
何故なんだろうと思いました。
迷路のようにある道も 最後には南側につながってます。


不思議でしたが…


私は これこそが この城の製作者の戦略だと思いました。
鎮守の森の反対側の森に兵を潜ませ 南側におびき出し挟み撃ちにする…
反対側の森に その手掛かりがあるか探してみました。 

流石に ここまで調査する人はいないようです。
近くの民家で畑仕事をしてる人に けげんそうな顔でジロジロ見られたので
サッサと撤退しました。


これで 小幡城跡に関しての話は 終わりです。
最後まで読んで頂き ありがとうございました。

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