里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

傘がない  その3

私は学生時代 4畳半一間の部屋に下宿していた。
建物の間取りは4畳半の部屋が4つと小さな炊事場、トイレが各1ヶ所ある平屋だった。
同じような家屋が3棟とブロックで建てた風呂場が1ヶ所あった。
道路から少し入った生活道路沿いにツゲの木で囲った塀があり、
生活道路と直角に 縦長で前に2棟 後ろの右側に風呂場 
左側にもう1棟 建屋が建っていた。
私の部屋は 生活道路沿いの左の棟の左から2番目だった。
風呂場は入り口の扉の蝶番を止める部分が湿気で腐っていて 扉を取り付け出来ず
風呂場の脇の塀に立てかけていた。風呂場の中は丸見えである。
また、着替えを置く棚も 湿気によるカビで真黒くなっていて、
服を置くのに新聞紙を敷かなければカビがついて 汚くなる状態だった。
新聞など誰もとってないので 風呂に入る時 みんなはどうしてたか…?
各自が自分の部屋で服を脱いで 裸で風呂場と部屋を往復していた。
生活道路からは 丸見えであるが苦情などなかった。
長閑と言えば長閑、学生に対しては とても寛容な時代だったと思う。


下宿では 独自のルールがあった。
1)靴・靴下は履かない。
電気炬燵をほぼ1年中 部屋の中央に置いて麻雀をするので、
靴・靴下をはくと 足が臭くて みんなの迷惑をかけるので禁止。
真冬でも 下駄かビーチサンダルで通しました。
2)醤油と小麦粉は切らさない
お金が無くなっても最低 餓死を避けるため 飢えを凌ぐため
すいとんをつくれる材料を各自が持ってる事。
私が下宿に入ったのが昭和45年で 戦後25年経過してたけど 下宿の伝統でした。
3)1冊の文庫本を一気読みする。
新しく入居した者は 1冊の文庫本を一気読みしなければならなかった。

何故読むのかという理由を聞いたが いまでは 全く覚えていない。
入居者が 代々 受け継いできた文庫本だった。
渡された文庫本は ボロボロで シミがひどかった。
説明では一気読みをすると次の日 頭がすっきりして読解力が一気に上がると…。
私は 言われるがままに その日に一気読みをした。 

『柳橋物語』か『むかしも今も』のどちらか一つを一気読みである。
チラッとみると時代物で『柳橋物語』が約200ページ、『むかしも今も』が150ページ。
正直なところ 時代物は苦手であった。
高校生時代は 軽めの北杜夫、星新一、坂口安吾などを読んでいた。
ページ数の少ない『むかしも今も』を20ページくらいまで頑張って読んだら、
そこまでは時間がかかったが その後は一気に読むことが出来た。
次の日 頭がモヤモヤしてたものが 楽になったような気がした。
というか とてもスッキリしたので ビックリした記憶が残っている。
それから この本は 私の『座右の本』になった。


会社員時代 もやもやした内容の相談に来た後輩には この本を買って渡した。
社交辞令かもしれないが みんな モヤモヤが吹っ切れたと言っていた。


娘が十代後半にこの本を 買って渡したことがある。
娘は社交辞令は言わないと思うが 良かったと言っていた。


多分 私が今住んでいる県で この本を購入した数、読み終えた数では
3本指に入るのではないかと 思っている。


私が住んでいた棟に大学を8年かけて卒業した 主(ぬし)がいた。
私を軽音楽部に誘った人物である。主に
『良かったら と これも読んでみな!』と言って手渡されたのがこの本である。  

この本は 分厚くて一気読みは出来なかったが 面白かった。
ギターと麻雀以外の事をやってるのを見たことなかったが 
こんな一面がある人なんだ~ なんて改めて見直した記憶がある。


この本は この年になっても まだ一気読みした後に 新しい発見がある。
こいつを里山に行くときに ウヰスキーと一緒にお供にしようと思っている。

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