里山で遊ぶ

ゆるい午後 遠回りする 帰り道
のどかな午後の時間を満喫できたらと思う。

高部館(山城跡)で遊ぶ  ③

高部館の主戦場からこんにちわ! 

個人的な感覚ですが 主戦場は地図の(A)と(B)の二カ所ではないかと想像しました。 

Bの地点ですが、木の出見張り台の中央に木の出坂(急坂)があります。 

木の出見張り台は土塁の延長線上で 余り大きくありません。  

木の出坂は急坂の竪堀で 敵はこの狭い竪堀を登ってこなければなりません。
登った先には 凸凹の何層かの土塁が周囲にあり、これを防御用の盾として使ったと推測します。登った先が 小さな空間で周りを土塁で囲ってるので枡形の変形かなと思いました。
土塁の段差の妙というか 実際に見て走り回ると実感できますが 素晴らしい構造です。


山城跡に興味の無い人は そろそろ退屈になりそうですね。


ここで 前回のB型の血液型の続きを書こうと思います。
前回はインド型のB型でしたが、今回は中国型のB型の話です。
時々ですが 中国の子供が柵や穴に 頭や体を挟め抜けなくなったニュースを見かけます。
私が会社員時代に 同じような光景を見たことがあります。
超特急で機械現場に造ってもらったSUS製のリングを実験室に置いていました。
新入社員がそのリングを頭に乗せながら周りとダベってたら 突然リングを頭に押しつけ
スポッとネックレスみたいに首元まで入ってしまい 抜けなくなってしまいました。
しばらくの間 どうやっても抜けなくて 耳たぶに潤滑剤などを塗ってもとれません。
20分くらい大騒ぎをしてましたが 最終的には知恵の輪を外すように
角度をずらしてリングを外すことが出来ました。
その新入社員に 何でスポッと首元までいれたのか聞いたのですが、
本人も何故入れたのか自分でも分からないと言ってました。
無意識でやったようです。
そいつはラーメンと餃子が好きで 根っからのB型人間です。
ラーメンと餃子が大好きなB型の人は 柵、穴、リングには 気をつけましょう。


話を戻します。 

Aの地点ですが、余湖さんの説明によれば 虎口のようです。
私が散策してた時には A地点が虎口だとは分かりませんでしたが
何となく主戦場の匂いがしてました。
緩やかな坂の周囲を曲輪が囲む構造になっているので
この場所も枡形の変形ではないかと想像します。
このなだらかな坂を上から走って降りてきました。
また、逆に 上に向かって走っていきました。
私の想像では ここが最も沢山の血が流れた場所ではないかと思います。


いつもの事ですが、城跡散策の間は ずーっと さだまさしの『防人の歌』を歌ってます。


   防人の詩/さだまさし(3333 in 武道館) - YouTube


名も無き 弱い立場の兵士が 家族のため 生まれ育った土地を守るため 
自分の命をかけ戦い 散っていく 
その場所は 時が経つと共に忘れ去られ 穏やかな自然へと戻っていく
切ないですよね...

高部館(山城跡)で遊ぶ  ②

 

高部館(たかぶだて)七の曲輪からこんにちわ。


今回 高部館で遊んだコースです。 

誰もいない里山を登っていきました。
最初に 南第一堀切で寿コースと若武者コースに分かれます。 

寿コースはロープを掴みながら 急坂を横切る形の道を進んでいきます。 

私は若武者コースを歩きました。 

南第一堀切の溝に沿って進みます。すると崖の上からのロープがあります。 

この崖を登り切ったところに南第二堀切があります。
幅が3mちょっとくらいで 深さが2m以上あります。長い年月を経てもこの大きさですから
当時の兵士(多分 当時の身長は150cm弱くらい)にとっては難関だったと思われます。 

堀切の底に杉の橋が設置されてました。 

この堀切の底からは ロープを使って登っていきます。
南の曲輪、五の曲輪、四の曲輪へと進んでいきました。 

ベンチに座って堀切の方を見たところです。
矢印の部分が堀切で 敵が侵入してくるのが一目で分かります。 

四の曲輪を進んでいくと武者走りがあります。 

武者走りを 思いっきり走りたかったのですが ちょっと障害物が多すぎました。
左側は 高さ2m以上の土塁が連なっていて 個人的には感動しました。
小走りで進み 一の曲輪(本丸)に出ました。 

本丸の中央に説明板が設置されていました。


城跡散策は とてもマイナーな遊びなので 多くの方は読むのが 
このあたりでもう限界かも。
ここで 少し 想像で遊んでみたいと思います。


高部館(たかぶだて)が正式名称ですが、
余湖さんは大城郭なので高部館を高部城と呼ぶと書いてあります。


私は何故 高部を『たかべ』ではなく『たかぶ』と呼ぶのか疑問なんです。
3組のお笑い芸人が『べ』でなく、『ぶ』だったら 以下の推理をしました。
はらいちの澤部(さわべ)が(さわぶ)、アンジャッシュの渡部(わたべ)が(わたぶ)、ピースの綾部(あやべ)が(あやぶ)と呼ばれていたら どうなんでしょう。
サワブ、ワタブ、アヤブって中近東あたりの名前っぽいですね。
これで濁点を取ると、サワフ、ワタフ、アヤフで ロシアのウラル山脈の麓っぽい
名前になってしまいます。
ここでピンとくる人がいると思いますが、インドの西側から中近東、ウラル山脈の西側
一帯は 血液型がB型の人が多く住んでいます。
渡部と綾部は かなり良いところまでいきながら 何故か自爆の道を進んでいきました。
能力はあるんだから 周りと協調すれば それなりに成功するのに、
インドタイプのB型は自爆の道を進んでいくんですよね...
カレーが好きなB型の人 能力はあるんだから 自爆しないように注意しましょう...


話を元に戻します。
本丸から(A)地点にいきました。
ここが主戦場だったのでないかと想像させるような雰囲気と匂いがしました。
ここで 暫く遊びましたが 内容は後で記載します。
遊び終えると武者走りを通って二の曲輪へ行きました。 

こちらの武者走りは綺麗に清掃されていました。 

この後 二の曲輪から土塁を登って三日月砦へ行きました。
土塁が半端ないです。八村塁、塁、太川陽介のルイルイ、塁だらけです。 

七の曲輪のベンチが見えました。 
七の曲輪へ行くと 木が伐採されていて 展望がひらけてます。

たまらない風景です。 

集落が見えますが、この道の先は白河(福島県)方面です。 

杉の植林地帯が見えます。 

こちらは馬頭(栃木県)方面だったと思います。 

山の稜線を見ていると故郷を思い出します。
山の中に住んでいた訳ではありませんが、子供の頃にみんなで
山で遊んだ記憶が 蘇ってきます。


青い空に くっきりと浮かぶ白い雲 風を突っ切って稜線を駆け抜ける仲間たち
 

時間が過ぎていくのを忘れ 丸太で造ったベンチに座ってました。


長くなったので 一旦 終わりにします。